あなたの子供の学力が伸びていないのはあなたが優しいから
僕の考え方をよくご承知の塾生保護者の皆様やこのサイトの愛読者の皆様は、読まなくていい記事です。
タイトルだけで「ああ、そういうことね」「いつものあれね」とお分かりでしょうから。
我が子を大事に思うのは親としてごくありふれた感情です。
大事に思う我が子に優しくあろうとするのは非常に美しいことです。
この全く当然の行動が、我が子が賢くなる機会を奪う危険を考慮に入れるのもまた当然です。
親が子供の失敗や苦難を先回りして取り除いてしまう癖がある場合のお話です。
生徒が僕のところに質問に来るとします。
その場合に僕がスッといきなり解説しないことは、ままあります。
それはまず、「生徒がどこがわからないのかを自分で言語化できていない場合」です。
「君がわからないところがどこか1箇所まず決まるはずだ。
それを君がここだ!と示してくれたらそこから解説するから」
生徒の答案や様子を見れば、どのような具合で手詰まっているかは見て取れます。
そこから解説することはできます。
でも、それは子供が自分の弱点に気づくための試行錯誤を奪います。
他人に与えられたものばかりで行動する人間になります。
学びの姿勢の根幹である自立とは遠くなっていきます。
だから、子供たちに僕は適切な言葉・文での質問を期待します。
それが出てくるまで待ちます。
適切な言葉や文で質問しない限りは、「ごめん、何を言ってるかわからないからもっと詳しく教えて?」と伝えます。
自分の思考を言語化できずにどうやって良い答案が書けるでしょうか?
自分の思考を言語化できないのにどうやって他人の言語を適切に読み取れるでしょうか?
言語化の試行錯誤をせずにどうやって言語化が上手くなるでしょうか?
いずれもあり得ません。
だから、試行錯誤を要求します。
さっと解き方を教えたり、「こういうことを聞いてるんだよね?」と先回りする方が見かけは優しいです。
でもそれが子供の学力向上を阻害する可能性を無視はできません。
だから何度も生徒に試行錯誤してもらいます。