県相に向かう学習とは「仕分け」から始まる
学力を上げることを目標とするならば、学習・とりわけ演習とは「仕分け」の一つであることを忘れないでおくべきです。
ある問題に対して「自信を持って正解できる」「正解できない」という分類を行うのが、ここでいう「仕分け」です。
正解できるか/できないかを分類できれば、できない問題をできるようにするために手順を踏めます。
何度かこちらの記事にも書いていますし、生徒には毎度伝えていることですが、「できないものができるようになる時が学力の上がる時」です。
これを考えると、演習とは「できるようになった確認」「できないもの探し」の仕分けという側面の大切さがはっきりします。
例えば子供が宿題をやるときに、親が取るべき行動が決まります。
というより、とってはいけない行動が決まります。
それは「正解の出し方=問題の解き方を教える」ことです。
問題の解き方を教えることで、子供は賢くなると思うかもしれません。
しかし、実際には解き方のお手本を見るだけでは子供の学力は上がりません。
どうしてそのように解くのか?という点についての理解が深まることがないからです。
ただお手本を見せられて指示に従って手を動かしているだけで、頭が動かなければ賢くはなりません。
いかに子供に頭を動かしてもらうかという点を考えての声かけをしないのならば、子供の宿題についての助言は効果が薄いです。
ただ目先の宿題に正解が並ぶことを目当てとしても学力は上がりません。
子供の宿題については一緒に悩んであげたり、わからないことを言葉にする質問をしてあげてください。
調べ方を教えたり、楽しみ方を教えてあげてください。
そのような問題との向き合い方が、我が子を県相・県立相模原高校のような上位高校へと向かわせます。
賢くなるとは場当たり的に正解すればいいというのではありません。
そもそも、賢くなるとは正解することではありません。
できないことをできるようになる能力を手に入れるプロセスにこそ、将来にわたる学力が宿ります。