勉強にセンスを持ち出すな
相模原市中央区矢部で数学を得意になってもらうための塾・青木学院です。
勉強にセンスを持ち出す人がいます。
例えば「国語はセンスで解く」「数学はセンスが無いと~」という具合です。
センスセンスやかましい、お前はどこの落語家かと。
実際には落語家さんは「かぜ」という符丁で扇子を指す場合もあるそうですから、そうは言いませんけど。
話がそれました。
勉強にセンスはいりません。
少なくとも高校受験程度では必要ありません。
大学受験でもそこまで必要ありません。
勉強が苦手な生徒にかけているのは圧倒的に努力量です。
特に基本的な学習内容の穴が多い、大きい場合が大半です。
国語で論説文を読むときに
・テーマは何か、それはどこから読み取れる可能性が高いか
・主張の要点と具体例と反論と再反論の区別ができているか
・上記を見分けるために接続や段落分けに注目できるか
・選択肢問題の正解識別のためにどういう基準で読むか
・書抜、記述問題で字数制限があるときに、 書くべき要素はどうやって判定するのか
・何より速読できるまで文章を読んだ経験値があるか
・それを通じて語彙力が一定レベルに達しているか
というところが出来ていれば、一般的な初見の問題でも国語の点数が7割を切る可能性は極めて低くなります。
定期試験の得点を上げるのとはまた違う視点ですが、入試では初見の問題を解くわけですから、これでいけます。
いずれにせよ上記の項目はセンスと呼ぶべきものではなく、訓練で身につけた実力そのものだと言えます。
徒競走と同じように生まれ持った能力の中に、国語の問題が向いている、いないはあるでしょう。
でも、訓練すればその生徒なりの実力を十分発揮していくことは可能です。
センスにかこつけて努力を惜しむ意味はありません。
圧倒的に努力しましょう。