考え方次第ですよ
昨日は久しぶりに完全アウェイの場での指導を行いました。
基本的に青木学院での指導方針は「時間をかけて育ってもらう」というところがあります。
学力を伸ばして問題を解けるようになってもらうために必要な知識や考え方を一つ一つ手に入れてもらうようにと考えています。
通塾している間に少しずつそれを伝えていきます。
ですから、塾生に対する指導は少しずつお互いが共有している前提となる知識が増えた結果として加速されていきます。
そのような長期戦で加速していく指導を毎日やっていると、お互いの前提の蓄積のない相手に指導をするのは新鮮に感じます。
初対面の相手に、今後の継続を前提としない指導をしてで手応えを感じてもらいたいわけですから、手強かったですね。
おまけに今回の生徒は学習だけをしに来たわけではないので、他のアトラクションにも負けないようにしたいところです。
アウェイなフェスに呼ばれたラッパーの気分といったら言い過ぎでしょうが、その劣化コピーぐらいの気分にはなりました。
ただ、そういう気分もまた楽しんでしまえば良いだけです。
考え方次第ですよ。
普段と違う順序でテクニックを見せたり、普段と違う時間の使い方を試して自分の指導力を高める機会だと思えば楽しいですからね。
これはこれで、通常の指導ではできない実験をさせてもらったともいえます。
物理的に変えられないものはどうしようもありませんが、自分の考え方次第で変わるものは自分をコントロールする方がマシです。
嫌だ嫌だという感情に支配されて行動がつまらなくなれば、何もいい結果は手に入りません。
例えば、「勉強が嫌だ」「丁寧に行動するのが面倒くさい」という感情に支配されている子供がいます。
でも、そんな感情のままで学習していい点数が取れるようになるでしょうか。
あり得ませんよね。
学力が伸びていない子供はほぼ例外なく、自分の感情を優先した結果としての学力にとどまっています。
無論、感情を優先した結果として高い学力を手に入れている生徒もいます。
ただ、自分の感情がどちらに寄与しているかは考えればすぐにわかるはずです。
そこで自分を見つめ直すことは、時として大変なことです。
でも、自分を変えずして学力向上はあり得ません。
今の自分の結果に不足を感じるならば、自分の感情と行動を自分でコントロールしなければいけません。
そのためには、周囲の人間が感情のままに動いている状態を許容しない姿勢を見せることも必要です。
駄々をこねたら許される状況を子供に用意しておいて、子供の学力が上がるわけがないのです。
駄々をこねたら県立相模原高校が入学を許可してくれますか?
駄々をこねたら取引先が契約をしてくれますか?
あり得ませんよね。
子供が嫌だと言っているからその要求を通すというならば、学力を手に入れる人生を子供のために用意しないと決めたことになります。
それはそれで間違いでも悪でもありません。
ただの人生の選択の一つに過ぎません。
ただ、自分が選択したことについて自覚はしておくべきです。
毎日子供の駄々を許し続けたら、それ相応の結果が待っているということです。
逆に言えば、子供の価値観を変えていくのも毎日の積み重ねです。
駄々をこねてもろくなことがないと分かってもらうこと。
丁寧に学習を積み重ねると、その先にいいことがあることがあること。
人生は思ったより長く、思ったより短いということ。
やらなければ大変なことになることが、人生には必ずやってくること。
準備をしておくことはものすごく大事だということ。
それらを生徒たちに分かってもらった未来に、子供達の学力向上があります。
教科指導は塾だけで完結できます。
しかし、価値観の育成は保護者の皆さんのご協力なしにはなし得ません。
ともすればそれは、我が子らしい生き方ではなくなるかもしれません。
何も大きく手を加えないまま「自然に」任せて育ってきたものが我が子らしさというならば、です。
その我が子らしさが子供の現在と将来を幸せにするというのであればそれはいいです。
先程のお話でいえば、感情に任せて行動しても結果が出ているタイプですね。
我が子がどちらのタイプかは、親御さんであれば分かっているはずです。
我が子らしさよりも未来の結果を手に入れるために、耐えて忍んでいく時期が必要な人もいます。
実際のところ、やってみて変わってみたらどうということはないことがほとんどです。
大ごとだとして変えようと意気込むのではなく、シンプルに切り替えてサラッと変えるのだと思って軽やかに行動しましょう。