過信する生徒、素直な心
相模原市中央区矢部で数学を得意になってもらうための塾・青木学院です。
自分が分かっていると思うことと、
客観的に分かってると判定されることは違います。
分かっていると思うことを注意されると、子供たちは不機嫌になるものです。
ですが、私たちは、出来ていないからこそ注意をするのです。
素直な心でそれを受け止めてもらわなくては、学力は伸びません。
小学生ならまだそういう反抗の気持ちも分かるのですが、
ある程度成長してそういう態度で塾に来ると、
当人なりのプライドもあってもう注意を聞こうとしなくなります。
本当にそれで学力が伸びるのでしょうか?
君はどうして塾にいるのか?
これまでの君では、君が満足できなくなったからだよね?
じゃあ、これまでの君変えるための、アドバイスを聞き入れてくれないか?
一緒に目指す自分にならないか?
塾でいわゆる「お説教」にあたる話をする度にこういう気持ちが訪れます。
学習の前に、あるいは学習を通して私達が育てるものの一つは心であるべきです。
ヘミングウェイは彼の小説の中の人物にこう言わせます。
「スポーツは、公明正大に勝つことを教えるし、また威厳を持って負けることを教える。要するに、スポーツはすべてのことを、人生ってやつを教えてくれるんだ」
受験勉強を通して塾長が身に着けてもらいたいと考えているものの一つはこれです。