当たり前のことが出来れば伸びる
塾長からは青木学院のSlackに毎日メッセージが入ります。
そこには大体「学習報告をしろ」という趣旨のコメントが入っています。
それに真面目に応じる生徒もいれば、ろくに報告も出来ない生徒もいます。
まぁそれ以前のレベルの生徒もいます。
当たり前のことが出来ていないわけです。
Zoomにログインしたらコメントをするようにと伝えていて、塾長から挨拶をしているにもかかわらずそれに無反応、というレベルです。
あまりにレベルが低いので注意するつもりもありません。
幼稚園から言われているレベルのことが出来ない人間には、相応の人生が待っているだけですからね。
あくまでも向上心を持って学習していく生徒のための塾ですから、人として基本的なことが出来ない人間のためには動きません。
向上心を行動に帰る生徒のためにカロリーは使いたいものです。
毎回報告をしている生徒は、塾長に質問だってしやすいはずです。
真っすぐに進もうとしている生徒の質問には細かく指導をあてられます。
今日もガンガン数学の先取りをやっている在宅生徒の質問に、オンライン添削をオフラインと同様に返しています。
当たり前ですよね。
青木学院はあくまでそういうガンガンな生徒のための場所ですから。
塾長を利用して伸びていきたい生徒のための場所ですから。
当たり前のことが出来れば伸びる場所ですから。
指示も当たり前のことしかない場所です。
何故でしょうか。
それは当たり前のことで世の中が動いているからです。
小説家になりたいなら、言葉を大事にしていくしかないですよね。
スポーツ選手として食べていきたいなら、健康管理は大事ですよね。
入学試験で学力を問われるなら、学力を身に着けるしかないですよね。
学力を身に着けたいなら、学習を大事にするしかないですよね。
その学習には、学習の道具や行動、学習を共にする人間や師=空間が含まれますよね。
そういう何かを大事にしないでいいことなんか起きるはずがないんです。
自分の好きなスポーツをちょろっとやっているだけで将来の自分に良いことが起きますか?
やるなら徹底的に大事にしないでどうしますか。
そんな自分勝手な態度で物事を行う子供がいるということは、それを親が許してきたということでしょう。
断固許さずにいたなら、子供がそうなるはずなどないんです。
大人が接したように子供は育ちますからね。
つまり、勉強が苦手な子供がいるのは大人がそのように接した結果です。
学力を磨くこと以外の何かに子供が向かうのを許したならば、そのように逃げます。
もちろん許してはいけないということではありません。
許した結果起きることを受け止められればそれでよいはずです。
子供にどうしても学力をつけてあげたい。
子供の未来をどうしても開いてあげたい。
そう思うのならば、その望みをかなえるために動いてください。
誰よりも親が大事に思っている子供なのですから。
当たり前ですよね。
ということで、塾長は明日も当たり前に朝から教室におります。
学力を伸ばすための当たり前の指導をし続けます。
向上心を持って学ぶ生徒諸君。
明日もよろしくお願いします。