塾など道具だ
相模原市の学習塾・数学特訓青木学院です。
知る・分かる・できるには差があります。
新しい知識に出会うこと。
新しい知識を理解すること。
新しい知識を定着させてできるようにすること。
ここまで来ることが、学力が上がるということです。
テキストや僕の指導で手助けできるのは、前の2つです。
テキストで知識は手に入ります。
読んで自力で理解できることも大いにあります。
そこで理解に段差があるならば、僕がヒントや解説を出せます。
学習の方針全体についても、生徒と僕が話をして決定することは大いにあります。
今日も大学受験に向けてのデザインを話し合いました。
僕が基本的に手伝えない=生徒がやることの比重が大きいのが3つ目です。
できるようになるというのはアウトプットで練習することがらです。
生徒が自分の手を動かして書こうとする。
生徒が自分の口を動かして音読・自己解説してみる。
そういうところは生徒自身の肉体を伴う領域です。
そうなれば僕ができることは格段に減ります。
もちろん他の大人ができることもほぼありません。
学校の先生でも親でも手伝えません。
本人がコツコツと周回していくのが一番結果につながるゾーンです。
ここを履き違えてはいけません。
僕が手伝いをし、道案内ができるのはあくまでも途中までです。
その先に自分で歩いて・走って行く道を経て学力が仕上がります。
反復せずに知識が定着していくことはありません。
反復は生徒が行うことです。
問題を読んで答案を書いていくなかで理解したことを使えるようになります。
答案を書くのは生徒が行うことです。
誰かの/僕のそばにいるというだけで学力が仕上がることはありません。
僕はあくまでも生徒が学力を伸ばして合格を掴むための道具に過ぎません。
その代わり、ちゃんと使えば相模原でも中々の道具です。