賢くなるだろうと思った親子の会話
親子連れが近くで会話をしている声が聞こえてきます。
若いお父さんと小学校低学年ぐらいの息子さんです。
「今日は2軒の別荘を見に行ったね。どっちが良かった?」
「1軒目が良かった」
「そうかぁ。お父さんは2軒目がよかったよ。どうして1軒目がよかった?」
「ゴージャスな感じが好き」
「そうかぁ。作ったがすごい人だったからそうなのかもね」
「お父さんは2軒目のどこがいいの?」
「持ち主が面白い人で〜〜だからね」
「僕そこ見てないよ」
「写真を撮ってあるから後で見ようね」
「うん。あー、星が見えない」
「この間、星の勉強してたもんね。見たかったね」
「曇っててダメだね」
「2年前にここに来た時には見えたよ。覚えてる?」
「2年前って2023年か」
「そうだね。あの日は見えたね」
「オリオン座を見たよ」
この辺りで僕はその場を離れてしまいましたが、その後もしばらく話していたでしょう。
今日あったことを思い出させて、感想を交換すること。
なぜという部分を会話に込めること。
否定せずに受け入れ合うこと。
目の前の現実と学校の知識とを繋げること。
そもそも子供の学習内容を把握していること。
過去と現在を比較すること。
他にもいくつかの要素が見てとれました。
いい親子のいい会話を聞かせてもらえたなーと。
子供がこの先、賢くなっていってくれるだろうと強く思いました。
お父さんがどれだけ意識しているのか、それともお父さんがナチュラルにやれているのか。
そこは分かりませんが、公共の場で子供とこういう会話ができるのは良いです。
この意味でも、生活こそが学力の基本なのです。