「普通」ってなんでしょうね
「普通」という言葉は時としてとても危険です。
不用意に使うことでその先のお話を一気に台無しにしてしまいます。
それは数字で表されるときでさえそうです。
その「普通」が「中央値」と「平均値」と「最頻値」のどの意味合いなのかでも違います。
これらの用語は僕が中学生のころには扱われませんでした。
しかし今の中学1年生の3学期の数学で、教科書に出てきます。
中学2年生になればそれらを発展させたものとして四分位数のお話も学習します。
教科書で扱う「普通」も時代とともに変化してきています。
もちろん、子供たちの生活の普通も様々です。
人間は自分の周囲のごく狭い半径の中で見知ったものの中で都合の良いことを「普通」と扱います。
自分の周囲以外を判断には入れられません。
自分に都合の悪いことを基準には入れません。
そうやって狭くて限られたことで「普通」を構成して自分の行動を決めます。
ときには自己防衛の論拠として他人や自分に「普通」を提示します。
それで目標を達成してなりたい自分になり、社会に参加していけるならそれはよしです。
しかしもし自分の学力が今ひとつなのに「普通」で武装したらどうでしょう。
なりたい自分になることはなく、「どうしてこうなった」と嘆く未来が来るかもしれません。
大事なのは自分が楽になる「普通」かどうかではないはずです。
目的を叶えるために十分な行動の基準としての「普通」が大事なはずです。
そのために「普通」をアップデートしていきましょう。
週末に10時間学習するのが「普通」な生徒にだってなれるはずですからね。