子供の判断力を信じるか?
大人が子供の判断を信じるかどうかは、子供の人生に少なからぬ影響があります。
自主自立を目指す上で、子供の判断を尊重したい気持ちはあります。
しかし、僕は根っこの部分では子供の判断を信じないことがあります。
それは、子供の学力が低い段階です。
学力が低いのは、知識も論理も意欲も習慣の程度も低い状態であることの表れです。
知識や論理や意欲や習慣の程度が高くなることで、学力が伸びます。
そして数字を伴った結果としてそれらが可視化されます。
可視化されないレベルの子供に重大な判断を委ねるのは、結果から遠のく可能性が大です。
子供の望む通りにやってきた結果、学力低いのではないですか?
学習から、厳しい環境から逃げる人生を選んだのは親だったのですか?
子供は学習へ、厳しい環境で自分を鍛えることへ向かおうとしてきたのを邪魔していたんですか?
そんなことはありませんよね。
自分にとって快適、いや「ぬるい」「ゆるい」環境に甘えてきた結果の学力のはずです。
そういうことを考えれば、僕は学力が発展途上の子供の判断を信じません。
その代わり、僕が信じられる学力になってもらえるように指導に全力を尽くします。
その僕の指導に食らいついてきた生徒諸君が、今立派に花を咲かせています。
大学進学を念頭に置いた高校へ進学し、大学受験で結果を残しています。
この生徒諸君に続いてくれる後輩たちが、一人でも多く成長してくれるように明日も指導します。
ぬるくない指導を受けたい生徒諸君、明日もよろしく。