雨さえも賢くする材料にする
算数や数学が苦手なままな生徒は例外なく理屈がありません。
何故そうなるのか?ということを考えずに生きているので、物事を理屈で捉える習慣がありません。
雨が降ってもその因果や影響に心が届きません。
筋道、規則で物事を把握して推測していきません。
ただひたすら、行き当たりばったりのその場しのぎ(実際にはしのげていません)でやりすごそうとしています。
これもまた習慣ですから、一度強固に染みついてしまうとなかなか抜けません。
学習の時だけ理屈で考えようという生半可な姿勢ではいけません。
雨一つとっても考えるきっかけにする接し方で我が子を伸ばすことは出来るはずです。
もちろんこれは相応に手間のかかることです。
その手間を惜しまないから、子供が抜きん出ることが出来ます。
たいていの親は、そこまでやりませんから。
僕の両親は僕が保育所の年長さんの頃から通塾させてくれました。
小学校高学年では片道一時間以上かかる塾へ送り出してくれました。
昭和の人口4万人の田舎の人間として、かなり手間をかけて力をつけてもらったと今更ながら思います。
だからこそ、今の僕があります。
抜きん出たことをやる親だから、子供が抜きん出るのです。