打ち込むとはこういうレベルから
打ち込めることがあるというのは素晴らしいです。
打ち込めるというのは、誰かに止められるまで止まらないようなことをいいます。
2時間もやったら手を止めるようなのは、打ち込めるというレベルではありません。
上手くいかなかったら手を止めるようなのは、打ち込めるというレベルではありません。
それをやるために朝自分で起きられないようなのは、打ち込めるというレベルではありません。
ずっとそれを続けていくための作戦を考えないようなのは、打ち込めるというレベルではありません。
打ち込めるレベルであれば、それをずっとやって食っていくこともできるかもしれません。
好きなことをやって食べていくというのはそういうレベルがスタートラインです。
食べていけるというのは打ち込んだ成果が誰かの心を動かすレベルです。
誰かの心を動かさないことは食べていけるレベル=社会のレベルではありません。
もちろん食べていけないことに好きに打ち込んで生きていきたいと思うのは自由です。
それが実現できるかはわかりませんが、思うだけなら自由です。
でも、上に書いたようなレベルで打ち込めることってなかなか巡り会いません。
まして食べていけるレベルの成果になったり、食べていける社会性があったりは分かりません。
だから多くの人は、ちゃんと自分の好きなことと食べていくこと=社会との折り合いをつけます。
折り合いをつける人生もよし、好きを貫いて打ち込む人生もよしです。
どちらにしても、学習はいざという時に役に立ってくれると思います。