鵜になるから上位高校へ行けない
今日から青木学院は4月度通常授業を開始しました。
と言っても特別な何かをすることもなく、いたって淡々としたスタートです。
それは学習が日常であるということです。
学習が特別なものであると感じる人は、やる気が無いと学習しないかもしれません。
しかし日常であれば、予定通りに始めてしまうだけです。
食事をとるのにいちいち気合を入れる人はあまりいませんよね。
予定通りやる、あるいはやる必要や欲求に応じてやるという姿勢があればよいです。
そういった些細な点にも、結果が出やすい姿勢と出にくい姿勢の違いがあります。
例えば、初対面の生徒に「どうして塾に通うの?」と質問することがあります。
「将来のために高校/大学に行かないといけないから」などと答えてしまう生徒がいます。
これは、あまり良い状態とは言えません。
そういう風に大人に言われているから答えているレベルです。
しかも答えている内容が極めて抽象的です。
その生徒にとっての「将来」とはなんでしょうか。
その生徒にとっての「高校/大学」とはどういうものでしょうか。
そこを突っ込むと、大体しどろもどろになります。
それはそうですよね。
ロクに考えずに、飲み込んだ言葉を吐いているだけです。
鵜飼いに操られる鵜のような状態です。
という話をたまにするのですが、鵜をご存じないことも多く悲しいものです。
何事であれ、そのまま飲み込むだけでは芸がありませんし血肉になりません。
学習で言えば身につくことがありません。
大事なのはよく咀嚼して血肉とすることです。
出会った知識をよく考えて心に留めておこうとすることです。
先ほどの鵜についてのリンクがあっても、鵜について知らないのにリンク先の動画を見ようともしない人がいます。
その時点で、賢くなるための行動を放棄しているわけです。
そりゃあ賢くなりようがありませんよね。
どんどん自分で嚙みついて、よく噛んで飲み込もうとしてください。
離乳食を与えられるがままの幼児のような姿勢で学習に臨んではいけません。