勉強の価値は勉強をした人だけが分かる
昨日の元塾生との会話で改めて話したことがあります。
それが、タイトルの「勉強の価値は勉強した人間だけが分かる」ということです。
例えば、勉強ができる生徒/勉強を頑張っている生徒は実は孤独な時期があったりします。
特に公立の小学校/中学校にいる生徒はそうですね。
勉強ができる生徒は、ちょっと周りの生徒と会話や価値観が違ってきます。
他の生徒が遊んでいる時間に頑張って勉強して、これまで周りの生徒が考えなかったことや知らなかったことに出会うからです。
そうすると、どうしてもナチュラルな自分以外の自分を意識して周りの生徒と接することがあります。
ちょっと寂しいものです。
時には勉強を頑張る生徒を「がり勉だ」などとさげすむクラスメイトさえいます。
実に嘆かわしい価値観です。
しかしそんな孤独を味わった生徒が塾でさらに努力し、県立相模原高校などの上位高校に進学します。
周囲は当然自分と同じぐらいの能力を磨いてきた生徒ばかりです。
勉強することの楽しさも意味も、共有できる仲間に会えて伸び伸び自分を伸ばせます。
刺激ももらえますから、さらに意欲をもって学べるようになります。
県相の生徒でよく聞くのが、「頑張ることをいいことだと共有できるのが本当にストレスが無くていい」という趣旨の話です。
これこそ、努力して県相を目指す価値の一つですよね。