勉強すると遠くを見ることが出来る
相模原市中央区矢部で数学を得意になってもらうための塾・青木学院です。
生徒たちは言います。
「英語なんて何の役に立つの。俺、将来外国なんて行かないし」
教科は英語に限りません。
社会でも、数学でも。
「歴史なんて何の役に立つの。大人になっても使わないし」
「数学なんて何の役に立つの。俺、数学者とかならないし」
実は今日も、ある生徒がそういう話をしていた、という話を聞きました。
要約すると、「勉強なんて何の役に立つの」というところでしょうか。
生徒にもし問われたら、どう答えましょう。
第一段階としては、こう答えます。
「勉強すると高校に行けるよ」
大学、でもかまいません。
これは圧倒的に役に立つと言えます。
生徒たちにとって、これ以上ない切り返しです。
不思議なことに、「勉強なんて何の役に立つの」と聞く生徒たちのほとんどは、「高校なんて何の役に立つの」という問いを発しません。
ある意味では同じレベルの問いだと思うのですけど。
それでも食い下がる生徒には、こう答えます。
「勉強すると何になるのか、とか問わないためだよ」
実はしっかり考えると、「勉強なんて何の役に立つの」という問いは深いです。
適切に答えるには、遠くを見る力が必要になります。
遠くを見るとは、自分の未来についてしっかりと考えることです。
自分が学ぶことが、自分の日々の生活が、自分の未来にどうつながっているのか。
これを考え抜くには、筋道立てて考える力、世の中のことを広く知る知識、未来を想像する頭脳、過去から学ぶ謙虚さ、様々な力が必要です。
また、自分の中に眠る多くの可能性を発掘するために、好きなことだけではなく、一見苦手かな、と思うことにも挑戦する勇気が必要です。
これらを私たちは、時に学力と呼びます。
勉強すると何になるのか、という問いをとりあえず棚上げにして学力をつけていくと、勉強すると何になるのか、という問いを発しなくなります。
勉強を続けていく中で、自分の学ぶことの意義が見えてきます。
ですから、わざわざ問う必要もない状態に達するのです。
そもそも。勉強が何の役に立つのか、という問いに対する答えは、生徒たちの数と同じだけの答えがあります。
そしてそれは、自分たちで見つけるもので、誰かに教えてもらえるものではありません。
そもそも。
勉強が何の役に立つのか、というのは勉強への逃げ口上です。
ろくに勉強もしないで逃げるより、勉強しまくって学力を持ってから、考えてね。