分からないというのは理解したいから
相模原市中央区矢部で数学を得意になってもらうための塾・青木学院です。
青木学院でのやり取りで塾長が発する言葉の一つに「君が何を言いたいのか分からない」というものがあります。
生徒の答案の経過や、生徒の質問に対して発される言葉です。
勉強が苦手な生徒から発される「分からない」という言葉はえてして思考の打ち切りを示しがちです。
しかし塾長が生徒との対話で「分からない」というときは、例外なく話が続いていくときです。
何がどう分からないのかを塾長が生徒に伝え、生徒がそこについて補足の情報をあげていきます。
十分に材料が出揃ったあとに、生徒の答案や質問についてコメントを再開します。
こういう対話を行うのはいくつかの理由があります。
思考を言語化することに慣れていないことから起きる不足や誤りを生徒に納得してもらってもっと上手に言語化してもらうこと。
生徒の思考を決めつけるのではなくきちんと整理確認した上でコメントをしたいということ。
生徒に対話のバリエーションを増やしてもらいたいということ。
何れにせよ、他人を理解しようとする努力や、他人を許容しようとする思考に塾長の興味があるということの現れのひとつです。
私達はともすれば他者を否定して自分の正しさを押し付けてしまいます。
しかしそれだけでは、子供たちがのびのびと育たないかもしれません。
まず第一に、他者を理解して受け入れる姿勢をもってもらいたいです。