何のために学習するのか
手前で伸びるのか後で伸びるのかは、親が子供をどのようなまなざしで見ているかの影響が大きいのではないかと考えることが多いです。
どの高校に入るかで視点がおわっていたり、何点を取るかが視界の限界であると手前で伸びても後では伸びません。
「何のために学習するのか」というところが失われているからです。
高校に合格したり大学に合格したりするのは、何かをなすための途中経過です。
もっと言えば、世において何を/どのようなことを為す人物になって欲しいと望んでいるかが子供にあらわれます。
親の思考の中でそこが空虚であれば、子供の学びは空虚になりかねません。
よく言われることですが、合格は一瞬であり学びは一生です。
僕が生徒に教えていることは、彼女ら/彼らの人生の中でいつでも使える道具として脳内と心に持っておいてもらいたいものです。
それはいかに目的を見据え続け、いかに知識を大事にして考え、いかに論理的に考え、それをいかにに行動に移していくかということです。
僕たちの暮らしを支えているのはそういうものだと考えているからです。
そしてそれらをより強く学べる環境として、良い仲間/良い先生と出会える場としての学校を選べるようになってもらいたいです。
脳内に刻んだ思考は、どのように不況になってもどのような悪政においても失われません。
一生モノの財産を蓄える気持ちで学んでもらえたら、どんどん学力は伸びていくんです。