考えさせる辛抱が大事
生きている間、生活している間にどれだけ考えているか。
ここが学力の差を決定的にします。
同じものを見ても同じ話を聞いても、考えてない人間はいずれ負けます。
見たり聞いたりしたものに関係していれば、何を考えてもかまいません。
少なくとも初期はそれでいいです。
無論、いずれは得点や合格につながることを考えられたらよいです。
まずは、考えるのが習慣となり、無意識に考えられることを目指しましょう。
そのためには、考えたことであれば肯定される環境を用意すべきです。
つい目先の得点や合格に執着すれば、そこに真っ直ぐ向かわない考えを大人は否定します。
何度も間違いを否定された子供はどうなるでしょうか。
間違えることを拒み、答えなく考えなくなります。
世の中は思考停止していられるものが増えすぎています。
考えず求めずともインスタントな快楽を得られる時代です。
すぐに「面白い」画像がスマホから出てきます。
意味を考えたり文脈を読み取ったり想像力を働かせなくてよいものです。
そんな環境、そんな時代だからこそ大人が考えさせなくてはいけません。
自発的に考えられるようになるまでは辛抱強く育てねばなりません。
挨拶だって、我が子は最初からすぐにはやりませんでしたよね。
何度も一緒に練習して、今は自発的にできるように成長したはずです。
学習を辛抱強く待たないでよい理由はないはずです。
直前になって慌てている人でなければ。