ノートは対話の道具だ
相模原市の学習塾・数学特訓青木学院です。
うちはすこぶる面倒な塾です。
毎日生徒のノートを見ていますが、ただ見るだけではありません。
ただ正解していた、間違っていたでは終わりません。
間違っていた問題を解説することもありますが、それでは終わりません。
その答案を書いたときに何を考えていたのか、どんな手順なのか。
そういう部分を根掘り葉掘り聞いて確認します。
特に学力が発展途上な生徒が思考の跡を辿りにくい答案を書いていたら確認します。
根掘り葉掘りの理由はいくつかあります。
例えば、「答案の再現可能性を高める」ということがあります。
正解していても不正解であっても、自分の答案について意図があることが大切です。
問題文のどこからどのように考えてその答案を書くのか。
それが言語化できるレベルであれば、別の問題であっても正解となる可能性があります。
手順を意識できているからです。
間違っていたとしても、その間違いが生まれた部分を修正すれば次は勝てます。
しかし、何となく正解したものはそうはいきません。
どう考えて正解したかがハッキリしなければ、別の問題では上手くいかないかもしれません。
何となく辿り着いた店にもう一度行くのは難しいようなものです。
不正解であってもそれは同じです。
どうして間違えたのかが曖昧であれば、また同じミスを繰り返すことになります。
修正点が見えないから、修正可能性が落ちますのでね。
そこをハッキリさせるために、生徒に根掘り葉掘り話をします。
非常に面倒な塾ですが、だからこそついてきた生徒は結果を出します。