根性論ではなく精神論
学力を上げるためには学習が必要です。
学習は行動ですが、行動の背景には精神があります。
どんな精神を持っているかは学習の質・量に影響を与えます。
そして学習の質・量は学力に影響を与えます。
ここでいう精神とはどういうことでしょうか。
例えば丁寧に根気よく物事に取り組む精神です。
一つ一つの動作を丁寧に扱うこと。
読む・書く・聞く・話すときに雑であれば、思考は雑になります。
思考が雑であれば学習は雑になり、学力は伸びません。
問題文をよく読まないで失点する生徒は世に絶えません。
自分で読んでいない自覚があるならばいいですが、大半の読めてない生徒は自覚がないです。
自分の行動についても雑に扱っているのです。
いわんやテキストや指導者の発言をや、です。
雑な状態で点数が十分に取れているならばまだしも、現実には取れていません。
学習しているつもりなのに点数が伸びないパターンがこれです。
学習とはただ問題が多く時間がながければいいというものではありません。
量が不足して負けることは当然ありますが、質も大事です。
その質を支える精神は、もちろん学習で磨いてほしくあります。
その上で、学習の場面だけで磨かれるものだとも考えません。
日常の生活の中でも磨かれるものです。
朝起きてから夜寝るまでの生活そのものを丁寧にせず、ペンを持ったときだけ丁寧に。
そんな切り替えがすごく上手なのは天才だけです。
凡人は来たるべきときのために日常の生活から丁寧さを磨いてなんぼです。
速くやりたいから雑にやる、ではいい点数は取れません。
丁寧にやることを速くやる・速くやりつつ丁寧さを保つことが必要です。
そのためには、まず日常の動作・思考から速くやりましょう。
人に何かを問われて適切な返答(正解ではなくてもいい)をしない。
そもそも返答までの時間がかかりすぎる。
黙ったままモジモジしている。
行動と行動の隙間が頻繁に空く。
そんな行動を許す精神が周りに漂えば、勝ち目はありません。
自分に厳しく・我が子に厳しく行動できるか。
そういうところから、学力はちゃんと差がついていきます。
もちろん、根気強さも同じです。
学習のときだけ根気強くなろうというのは難しい話です。
生活の中で根気よく物事に取り組む精神を育てましょう。
継続し続けるマインドがなければ、大きい目標を達成することはありません。
あれこれと目移りして、飛びついて、すぐ飽きて。
そんないっちょかみが習慣になっては時間が無駄です。
少なくとも締切の決まっている受験については向いていない精神です。
これと一つ定めて、そこに向かって毎日コツコツと行動し続ける。
逃げない、ブレない、淀まない。
そんな人を陰ながら応援します。