その言い訳で
文武両道は良いことです。
学問を修めた上で学問以外の何がしかを身につけるというのは素晴らしいことです。
できることが多いに越したことはありません。
しかし、それが修めたと言えるレベルではないとしたらどうでしょう。
例えば部活動も県大会に行けるほどのレベルではくダラダラと参加しているだけ。
それなのに部活動を理由に学習量を減らして成績は良くて中、実のところ中の下。
これを文武両道とは絶対に言えません。
ただの中途半端です。
振り切った人間なら何かの道が開けることもあります。
ただの中途半端には大した価値は与えられません。
「帯に短し襷に長し」と古来言うではありませんか。
あくまでも「しょぼい部活動を理由にしてしょぼい学習になっているなら」という限定での話です。
そんな部活動を3年間続けたことがどれほど人生の糧になると言えるでしょうか?
「子供がやり始めたことは最後までやり遂げる経験をさせたい」
なるほど、美しい言葉です。
では、その美しい言葉がどの様な実りを我が子にもたらしているかお考えください。
3年間部活動に「所属し参加しただけ」の実りとはなんでしょう?
歯を食いしばって毎日練習に練習を重ねた。
朝練でも自分で必ず起きて率先して取り組んでいた。
部活動改善のために日々周囲と協力し、自力と他力をうまく噛み合わせて結果を残そうとし続け、たまには残していた。
最初から最後まで妥協せず目標達成のために労を惜しまなかった。
そのような3年間なら、継続の意味も大いにあることでしょう。
あなたの子供はそのような行動の結果、ちょっと学習が疎かになっているのでしょうか?
それならば、少なくとも武を修めつつあるわけですから、いずれ文武両道となりうるでしょう。
しかしそうでないならば、いえ、そうではないと分かっていて書いています。
県大会にも行けなかった程度の手ぬるい部活動が生徒の高校生活に何のプラスがあるのでしょうか。
その手ぬるい中学生活の延長線上での手ぬるい高校生活の先にある手ぬるい大学生活に数百万円の価値があるのでしょうか。
それはお母さんなら分かっていて想像がつくはずです。
さもなければ、未来から目を背けているだけです。
さて、この文章を部活動をやめろというメッセージだと受け取った方、誤読です。
文中で強調したように「しょぼい部活動を理由にしてしょぼい学習になっているなら」ということです。
子供の未来を一番開いてくれる学習の妨げとなってはまずいのです。
子供が部活動に入るなら「それを言い訳にして学習に手を抜かせない」と約束するのは当然なのです。
そうしないでおいて野放図な部活動生活の影響を受けたしょぼい答案を怒るのは、ルールを決めないでスマホを渡すのと同じ罪です。