真実に向かおうとする意志
相模原市中央区矢部で数学を得意になってもらうための塾・青木学院です。
私達世代から下のマンガ読者にとって、未読のものからは好奇の目を、既読のものからは経緯と熱狂の目を持って読まれる作品があります。
その一つが、「ジョジョの奇妙な冒険」シリーズです。
今日はジョジョ第5部(!)のある場面の引用から。
カフェで一人の男が佇んでいます。そこへ、近所で発生した事件の「犯人の指紋が付いているはずの凶器」であるガラス瓶の破片を探しに警察官がやってきます。
(ゴミ捨て場のガラスの破片を眺めながら)
男「そんな中から、探す気かい?」
警官「仕事だから、な…」
男「…ああ、その、何だ…」
警官「何か?」
男「いや…その、参考までに聞きたいんだが、ちょっとした個人的な好奇心なんだが、もし見つからなかったらどうするんだい?
「指紋」なんて、取れないかも…いや…それよりも見つけたとして、犯人がずる賢い弁護士とかつけて無罪になったとしたら。
あんたはどう思って…そんな苦労をしょい込んでいるんだ?」
「そうだな…わたしは『結果』だけを求めてはいない。
『結果』だけを求めていると、人は近道をしたがるものだ…
近道した時『真実』を見失うかもしれない。
やる気もしだいに失せていく。
大切なのは『真実に向かおうとする意志』だと思っている。
向かおうとする意志さえあれば、たとえ今回は犯人が逃げたとしても、いつかはたどり着くだろう?
向かっているわけだからな…違うかい?」
先日この場面がアニメ化されていまして、それを見て塾長はボロボロに泣いていました。
無論ここだけ見て泣くという話ではなく、ここまでの紆余曲折を経ての話ではあります。
しかし、報われないかもしれない努力を誠実に続ける心の美しさをグッと伝えてくれる位置場面であることは確かです。
「真実」が大切なのではなく、「真実に向かおうとする意思」が大事なのも重要です。
真実はなかなか見つかったり手に入ったりするものではないですが、そこへ向かおうとする意思は自分で持ち続けられますからね。
生徒に模範答案を作って見せているときに、生徒がこう言いました。
「先生はどうしてそんなに早く解けるんですか?裏技があるなら教えて下さい」
こういう心は、「結果だけを求める心」「近道をしたがる心」「真実を見失う心」だと考えます。
目先の点数にのみ拘る心、楽をして何とかしたいと思いすぎる心(無駄な苦労はいりませんが)、そういうものが学習の楽しさを見失わせることは多いです。
裏技とやらで問題を解けるかもしれませんが、それは世界への理解になりません。
ただの帳尻合わせを手に入れて、賢くなれるでしょうか。
そんな勉強(とも言えたものではない行動)をしていて、学習の楽しさが分かるでしょうか。
塾長からの返答は
「一問ずつ丁寧に考えて解くことを繰り返したら早くなっただけだよ。
裏技なんかないし、要らない。
焦らず騒がずドンと行け!」
自分のまだ見ぬ理想の姿に向かおうとする意思を保ち続けたく思い、保ち続けて欲しいです。