演習とは対話だ
問題演習は大事ですが、単体では効果が低くなりがちです。
解いた後に丸付けをします。
ここで解説を読むことさえしないからです。
答えの数字が合っているかどうかなど、大した問題ではありません。
解説の思考の仕組みをどれだけ自分のものにできるかが大切です。
ですからまずは、解説を読むことから始めます。
しかし、多くの子供はここでも伸びません。
解説に書いてあることを「分かったつもり」になるだけで終えるからです。
それは僕が生徒のノートを確認して、「これ、なんでこういう答案になるか説明して」と質問すればすぐに分かります。
しどろもどろな説明に終わってしまったり、黙り込んでしまうのでバレます。
こういう子供は、他人の言うことを聞き流してしまうくせがあるので普段からバレます。
要は、聞き流しても生きてこられたからこうなっているのです。
つまり、日頃から他人の言うことより自分の考えで行動して、かつ大した成果が出ていないからこうなのです。
成果を出している生徒なら、聞き流しているように見えてちゃんと聞いています。
他人の考えを理解した上でそれ以外の道を進むのは、それはそれで面白い生き方です。
しかし、ろくに理解しないで他人の考えを尊重しない人間であれば成果は出ません。
考えを理解しているなら、自分なりの言葉でもアウトプットできます。
それができるなら、別の問題であっても正解できる力がついていると言えます。
自分の不足をきちんと解説から埋めてこそ、演習授業の意味が出ます。
演習とは一人でやるものでありながら、極めて対話的な行動なのです。