長期的な視野を持つことは年長者の役目
今日は久しぶりに伺う喫茶店で軽食をとってきました。
昨今の時勢柄、飲食店はどちらも厳しいようですので応援も兼ねての訪問でした。
ご覧の通り、いわゆる映えるタイプのトーストではないですが、じんわりと美味しい良い軽食です。
トッピングされている玉ねぎやピーマンは、店主さんが自分の畑で育てたものを使われているそうです。
「飲食は今厳しいけれど、毎日体をきちんと動かし続けておかないと、いざというときに動けないからね」と御歳70歳を超える店主さんは笑ってらっしゃいました。
置かれた状況と将来の正念場を見比べて現実を作っていく、先人の姿勢は常に私たちの背筋を伸ばしてくれますね。
先日「どうして県相に合格するのか」とある人に尋ねられました。
ただ当たり前のことで考えれば、「合格するに足る学力を身につけるだけの学習をして受験したから」です。
ということは、どうしてその学習ができたのかを考えれば良いということになります。
ほとんどの中学生は、気まぐれ思いつき程度の意思で県相合格はかないません。
早い時期から上位高校進学をきちんと考えて中学生活を送った結果として県相に合格しています。
少なくとも青木学院から県相に進学した生徒たちは皆そうです。
ではそれは生徒たち自身の思考のみでなされることでしょうか。
残念ながら自力でそう考え続けられるほど賢い人間はなかなかいません。
彼女ら・彼らがそう考える環境としての保護者の力は大きいです。
例えばその力とは、「我が子が県相に合格するレベルの学習を積み上げられると親が信じている」ことですね。
自分が必要とされている、信じられているという肯定感は人間の行動に大きなブーストとなります。
まずは親が子供の可能性を信じてあげましょう。
そのためには、親が「お、我が子は結構やるじゃないか」と思える機会を早いうちに持つことです。
それは子供が何かに挑戦する機会であり、成功する機会です。
言い換えれば、子供が好奇心を持って学び続ける機会を親が目の当たりにする機会です。
親が子供に対して学習(とりわけ感じて考える行動)を身近なものとして起き続けているかどうかは重要です。
親が日頃子供と学習の距離を縮める行動を取り続けていることで、子供が意欲を持って学び続けるようになります。
結果として子供が学習する姿を見る親は、子供の可能性に大きな期待を抱くことができます。
なんのことはありません。
我が子の可能性を信じられなくなる親は、自分が子供の可能性をとざしている親だったのです。
いざ受験が目の前に、となってから本気を出す受験生が成し難いのと同様に、いざ受験が目の間に、となってから我が子の学力に対してテコ入れをと思う保護者は成し難いのが当然です。
まだ受験が遠い時期から子供の好奇心や挑戦力や忍耐力を育て続けて、我が子に思考力をと思い続けている親だからこそ子供が賢くなっていく行動を続けられます。
結果として、県立相模原高校へ合格するようなものです。
先日も買い物中に子供が熱心に魚の産地や種類について話し、それに良い相槌と質問をする親御さんを見かけました。
直前に親子で水族館にでも行ってきて見た内容を語っているようでした。
いいですね。
子供の生活の中に良質なインプットを組み込んで、自然にそれを引き出しているわけです。
確実に計算してそう行動している様子が、子供の話を聞いている際の親御さんのリアクションから見て取れました。
子供がどのようなことに興味を持って水族館の魚を眺めていたのかを覚えておいて、それを喋り安いように会話を誘導している雰囲気がありました。
無論、親御さんに確かめたわけではないのでタダの私の妄想に過ぎないかもしれませんけどね。
さて、春休みも近いです。
自分のお子さんにどんな良質なインプットを仕掛けますか?
それともまた何も賢くするための手を打たぬまま、新学年を迎えますか?