教わって満足するから出来るようにならない
冬へと走り出そう
冬期特訓が始まる前に、チェアリングをしにバイクで水辺まで出かけてきました。
上の写真はその時の風景です。
塾長が今乗っているのは、排気量750CCのバイクです。
このバイクを選んだ理由の一つは、好きな曲の歌詞です。
冬へと走り出そう いつか来た道を通って
息も凍りそうな朝に そうさ僕もきっとそうするとも
やぁ朝の陽ざしに起こされたようさ 透き通った宝石のような日に
さぁ750ライダー気取って 冬へと走り出そう
冬へと走り出そう(かせきさいだぁ)
大昔は大型のバイクと言えば750CCが限界だったものです。
この曲の歌詞にそのような時代へのノスタルジーがあります。
いまは1000CCを超える大型排気量のバイクもありますが、どうしても750CCに乗りたかったのはそういうことです。
実際に冬の朝にバイクに乗るのはとても寒いものですが、そこはある種のやせ我慢です。
冬の夜が明けきる前、空いている道路を走っていると心がスッと軽くなっていくのを感じます。
目的地の風景を前にお気に入りのキャンプチェアでくつろぎ、コーヒーで体を温めるマッチポンプは冬ならではです。
バイクの免許を取る前に雑誌で眺めていた自分になれたなぁと感じます。
雑誌読んで満足するなよ
塾に通っても、教材を変えても、教わり方を変えても学力が伸びない生徒がいます。
塾に通って満足するからです。
教材を手に入れて満足するからです。
教わって満足するからです。
キャンプ道具が載っている雑誌を見て満足しても、キャンプは楽しめません。
実際に道具を手に入れて、現場で使っていく中で分かってくるものがありますし、そこに楽しさがあります。
冬のバイクも自分が想定していなかった厳しさや怖さがありますが、それは体験して初めて乗り越えるものです。
それと同じで、自分の脳や目や手を動かして体験せねば、学力は上がりません。
ただ誰かの話を聞いたり、眺めているだけで自分の体験とは言いません。
聞いて読んで知ったことが自分のものになるように、練習し続けなくてはいけません。
その練習の量が、聞いて読む時間より短いことなどあり得ません。
聞いて読んだ知識は最大の抽象です。
抽象はその背後・土台にある無数の具体の上に初めて成り立つものです。
知識を己が血肉とするためには圧倒的具体を蓄えていく必要があります。
それらの圧倒的具体が、抽象たる知識を磨いて体にフィットさせてくれます。
学力が伸びない生徒はほぼ例外なく、圧倒的具体を手に入れる演習量が足りていません。
凄く雑に言えば「やってないから出来ない」のです。
待ってろ今から本気出す
ここで「やれば出来る」と考える人もいます。
その人に伝えたいのは「そんなことを考えてるから出来ないんですよ」です。
出来るようになる人は、そんなことは考えません。
考えるのではなく、即やり始めるから出来るようになります。
出来るようになるまで歩みを止めません。
そして出来るようになっても歩みを止めません。
「やれば」というのは仮定条件に過ぎません。
仮定条件をいくら並べたところで現実には対応しません。
大事なのはイマジナリーではなくリアリティーのはずです。
だから「やれば」ではなく「やるんだよ」です。
口にしていいのは「やったから出来る」という確定条件の文です。
古文文法で言えば「未然形+ば」なら仮定条件、「已然形+ば」なら確定条件です。
仮定条件はまだやってないことを示す未然形とセットなのは道理ですよね。
お正月だから学習をお休みしましたか?
それで合格に不安が無いならそれでいいんです。
合格に不安があるのに学習をお休みしましたか?
その人生に問題が無いならそれでいいんです。
誰もが正月に学習しなければいけないなんてことはありません。
少なくとも私自身の価値観では、家族でおせちを食べたり、初詣に行ったり、祖父母に元気な顔を見せることだって子供たちにやって欲しいことです。
でも、必要ならばたまにはそれを休んで本気で学習しましょう。
自分の過去に不足が、現状に不満が、未来に不安があるならばこう言いましょう。
「待ってろ今から本気出す」