受験は落ちるべくして落ちる(かもしれません)
世の中にはどこまで行っても、勝ち残る人と負けて去る人がでます。
どんなに高いレベルであっても、全員が勝者となることはありません。
ある高いレベルで争っている人について、どんな人が負けて去るのかを伺うことがありました。
いくつかの共通点を挙げられたのですが、例えば「だらしない」人はそうなってしまうのだそうです。
高レベルまで登るのは大変なことです。
そこまでたどり着くために、ある程度の実力が必要です。
その実力が生まれ持った何か、すなわち大きく継続された努力によらないものに由来している割合が大きいとします。
天賦の才が大きければ、レベルが低いうちは多少のだらしなさがあっても何とかなるかもしれません。
周りの人間の努力を才能で蹴散らせるからです。
しかし、それは相手が弱いうちです。
高レベルになれば周りも相応の才能を持った人間がさらに努力で戦ってきます。
そうなると、才能に胡坐をかいているだけの人間が「弱い相手」となります。
これは特別ハイレベルな環境に限ったことではありません。
受験においても、自分と同じ志望校の人間とはそこまで大きな差がないはずです。
そこでの勝敗を分けるもののひとつが、丁寧さ/だらしなさになることもあり得ます。
自分が今いるフィールドで勝ち残る/勝ち上がることを考えるなら、変えられるもの/変えるべきものは一つ一つ、ひとつ残らず変えることが必要なこともあります。
それを怠って自分に甘えている人間は、落ちるべくして落ちていくのです。
負けに不思議の負けなし、です。