嫌い≒不得意な学習のままでいいのか?
相模原市の学習塾・数学特訓青木学院です。
何かを嫌いだと言って避ける人がいます。
例えば計算が嫌いだの、暗記が嫌いだのというやつです。
人間は嫌いなものを避けるのが普通です。
それ自体はかまいません。
しかし、避けた先の道がどうなっているかは考えるべきです。
計算が嫌いだ、暗記が嫌いだとして避けるとしましょう。
避けても、計算や暗記がなくなるわけではありません。
嫌ったところで、自分が計算や暗記が不得意な現実は変わりません。
そう、嫌いだというのは不得意な現実から目をそらすことにもなり得ます。
嫌いだからといって、できなくてもいいわけではないのに。
ただ嫌いだと言って、やらない。
その先の人生が何かよくなることなどないのです。
人生の中には、好き/嫌いで語ってよいことと、そうではないことがあります。
どの漫画が好きか嫌いかで、人生に大きな変化が起こる人は少ないです。
特定の漫画を読まなかったから人生が大きく変わることも、あまりありません。
学習はそうはいきません。
不得意なものを嫌いだと言ったところで、何もいいことがおきません。
むしろ不得意=弱点ですから、進路の選択幅が狭くなるだけです。
嫌いだと避けず、得意になるためにコツコツ学習を積み重ねる必要があるはずです。
そしてその残り時間は、毎日減っているはずです。
今日も嫌いなものを嫌いなままにしておきますか?