親が子供に学習を日常とする環境を用意する
親が子供の学習に対して考えることの一つに「子供のやる気が出るまで待つかどうか」という問題があります。
子供が学習に対してやる気を出すまで、子供を学習に全力で向かわせないほうが良いのではないかという迷いです。
ある程度は正しいと思っています。
しかし条件が付きます。
それは、「結果として得られる学業の成果について何の文句も子供に抱かない」ということです。
例えば県相・弥栄・麻高に進学することを考えれば相応の学力というものが必要です。
それを2ヶ月でつけてくれ、と言われても子供たちも出来ません。
ことは相模原市内上位高校に限りません。
どの高校であれ、どの大学であれ必要とされる学力水準というものがあります。
そこに到達するには生徒それぞれに異なったものとはいえ、学習量が必要です。
それが物理的に確保できる限界を超えた場合には、合格は手に入りません。
子供たちの将来は確実に狭いものになります。
「それでもかまわない」という考え方ならば、子供たちがやる気になるまでグッと待つのは問題なしです。
しかし、そうじゃないと思う気持ちがあるならば全力を挙げて子供たちを学習に向かわせなければなりません。
それは「勉強しなさい」と言うということではありません。
子供たちに学習の意義を伝え、自分の将来をどのようにして切り開いていかねばならないかを伝えることが必要です。
生きていくということはどのようなことなのかを知らずに学習させてはいけません。
日々学んで力をつけていくことが自分の将来を作っていくということを伝えねば、学習によって何かを得られる人生は無いはずです。
学ぶことが日常であるような状況を、親が作らなくてだれが作るというのでしょうか。
学習が非日常であるような、学習以外の何かを軸とするような環境を親が整えておきながら、学習をしろと言うのは筋が無いですよね。
例えば週に1回だけ通塾という非日常では、学習が日常たり得ることは無いでしょう。
教室にいるときだけの1時間が学習であるようではいけません。
宿題を出されたとしても、宿題だけで学力は上がらない生徒の方が多いです。
宿題が多ければ学力が上がるというなら、塾に通わずともワークだけで良いはずです。
それですむのが我が子かどうか、親ならばわかるはずです。
学習を日常とする環境と価値観を植え付けることこそ、子供の学力向上のために親が出来る最大の貢献の一つです。