考えればわかることは考えよう
理屈で考えればわかることというものがあります。
原因が無ければ結果は生まれないものなので、勉強をしないで勉強が出来るようにはなりにくい。
自分の好きなやり方ばかりで学力が伸びていないなら、そのやり方にこだわっても学力は伸びない可能性が高い。
例えばこういう話ですね。
しかし、勉強が苦手な人間はほぼ例外なく理屈で考えません。
感情で根拠なく判断して行動します。
それが悪いことだとは言いません。
しかし決して成功率が高い行動ではありません。
毎日トイレットペーパーを買いに行く必要があるでしょうか?
そんなにトイレに行きませんよね。
都市部を中心に行動を控える時期に、地方で育てている農産物から出来ている食品を買い占める必要があるでしょうか?
地方在庫がひっ迫しているわけでもないのなら、意味がありませんよね。
そういうことを理屈で考えれば、おかしな行動はしないはずです。
むしろ一部の人がおかしな行動をしているせいで転売がはびこり、一部の人がおかしな行動をしているせいで現場が摩耗します。
きっと一部の人は、学生時代に勉強を通して理屈で考えるという行動を学ばなかったのでしょう。
非常に寂しいことであります。
石油ショックの時のような先人の振る舞いから学ぶことができない学習をしていたのでしょう。
非常に悲しいことであります。
大人の一人として、同じ大人たちが思慮分別に欠ける行いをとっていることは痛恨の極みです。
せめて生徒たちのような若者には、そういう社会を今後味わってほしくはありません。
希望をいえば、彼らは新しい生活をもたなくてはならない。
私たちの経験しなかった新しい生活を。
(魯迅『故郷』訳・竹内好より)