良い質問をした分だけ賢くなる
相模原中等の生徒が定期テストの結果を持参してくれています。
生徒たちの答案を見ても、基本的に想定内のものであることが多いです。
予想より遥かに点数が良いことも悪いことも、あまりありません。
それは日常の学習で学力をある程度把握できるから、得点の予想もつくからです。
学力が順調に伸びる生徒は例外なく良い質問をしてきます。
良い質問とは「自分の考えた結果たどり着いた答案と、模範答案とのギャップを埋めようとする質問」のようなものです。
「何も読まず・何も考えず・何も覚えず」で解けない問題があって質問してきても学力は伸びません。
そんなところで「三ない運動」をしてもらっても何もありません。
まず自分の行き着けるところまで脳に負荷をかけてからであれば、賢くなります。
なぜなら、出来ないところが明確になっているわけですから、そこを埋める意識で解説を聞けます。
漠然と鼓膜を振動させていても、頭は良くなりません。
ただ講義授業をしているだけの空間に身をおいていて学力が伸びないのは、こういうことです。
だから、演習をメインとした授業を行って生徒に自分の脳を動かそうとしてもらっているわけです。
そして、自力で超えにくい壁を超えるための空間と助言を提供しているわけです。
「模範解答と同じ答えにはなったが、自分の解き方はどうなのか」という質問もまた、良い質問です。
数字が合えばいいというのであれば数合わせに過ぎません。
考え方が理にかなったものかどうか、手順を減らすためになにをすればいいのかという改善が私達の答案をよりよいものにします。
逆に言えば、これらのような質問が出てこないうちは大きく伸びることはありません。
ただ漠然と丸付けをして、ぼんやりと解説を読んで分かったつもりになっているだけです。
試験答案の無残さから私達が考えるべきは数字の少なさへの反省ではありません。
それ以前の日常の学習のどこを改善することで次のテストに向かうのかという、日常の改善案です。