賢くなるとはどういうことか
今日は終業間際から生徒に、音楽と漢文の話をしていました。
漢文の構造はヒップホップの構造と類似点があり、和歌にも通じるという話です。
僕と漢文の話をするなら毎度おなじみのお話です。
僕は高尚な話から下世話な話まで、役立つ話からどうでもいい話まで雑談のネタを持っています。
とはいえ色々なことを知っているから賢い、というのではありません。
賢いというのは知識の多さによって支えられるところもありますが、知識との付き合い方です。
例えば漢文を読んでいてヒップホップを思い浮かべるか。
ヒップホップを聞いていて和歌を思い出すか。
そのような知識同士の有機的な飛躍的な繋がり方を発見できるのが賢さの一端です。
生きていて生活している中で、何かに気がついたり考えを深めたりするのが賢さのもとです。
ただ漫然と問題を解いても賢くならないように、ただ漫然と生きても賢くなりません。
賢くなるためには常に目の前の事象とまっすぐ向き合う必要があります。
何かを思い出し、何かと関連付けていくクセを身につける必要があります。
そういう生活を送れば生きているだけでも賢さが増します。
一見熱心に学習してないように見えるのに賢い人とは、そういうものかもしれませんね。